2007年2月15日 (木)

鎌倉幕府から下克上へ

とりあえず最寄のIC(厚木)で高速を降りて、鎌倉方面へ。
どうせならと、少し遠回りになるけど海に出て湘南を東へ向かう。

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■稲村ケ崎
 住所  神奈川県鎌倉市稲村ガ崎
 電話 0467-23-3000(鎌倉市観光課)
 期間 通年
 営業時間 見学自由
 料金 無料
 駐車場 54台(有料)
 お勧め ★★★☆☆

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稲村じぇ~ん。初めてきた。
見ての通り、海の向こうには江ノ島、そして、さらに遠くには霊峰富士が見渡せる。

天気自体は良くて、富士山まできれいに見渡せたんだけど、この日のこの場所はとにかく風が強くて海が荒れ狂ってました。
風が強すぎて砂浜の砂が顔に思い切り当たってきて痛いし、口の中もじゃりじゃりするし、カメラのレンズは一瞬にして塩で汚れてしまう。

数枚写真を撮って颯爽と退散した。

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今日の一つ目の目的地。鎌倉。

始めて鎌倉に来たのは小学校の修学旅行。
高校の頃にも一人で旅行に来たことがあり、そのときは鎌倉から江ノ島にかけて一日かけてぶらぶら散策した。
社会人になってからも一回遊びに行ったから、これで4回目だ。

鎌倉の街はとても作りが変わっている。
上空写真などを見ればその特徴がよく分かるだろうが、車で走っていても、その自然の地形的特徴と、それに沿って形成された街並みが手に取るように実感できる。

源頼朝が、難攻不落の地としてここに幕府を置いた理由がよくわかる。

ちょうど三方を山で囲まれたその裾野に鶴岡八幡宮が建ち、もう一方である由比ヶ浜から八幡宮へ向けてまっすぐの道が一本走っている。
それが若宮大路と呼ばれる大通りである。

私は敢えて、八幡宮から離れた(つまりかなり由比ヶ浜寄りの)駐車場を探して、そこから歩いて行く。

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一の鳥居。

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この鳥居だけは、他の二つと違い白い石造りである。

【源頼朝と鶴岡八幡宮】

源頼朝がこの地に幕府を開いたのは、先に述べたように、ここが三方を山に、一方を海に囲まれた天然の要塞であるから、と昔教わったが、それ以上に重要な理由がある。

かつて、源頼朝の祖先にあたる源頼義が、康平6(1063)年、前九年の役において、戦勝祈願をした京都の石清水八幡宮を鎌倉の由比ヶ浜に勧請(※かんじょう)したのが鶴岡八幡宮の始まりとされる。

※勧請:神仏の分身、分霊を他の地に移しまつること

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二の鳥居。

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この鳥居から先は、段葛(だんかずら)と呼ばれる車道よりも一段高い参道が三の鳥居まで続いている。
この参道は、頼朝の妻、北条政子の安産を祈願して造られたとされる。両脇は桜並木となっていて、サクラの季節にはきっとすばらしいサクラのトンネルが出来上がることが想像される。

さらには、その源頼義の子である源義家が石清水八幡宮で元服して「八幡太郎義家」を名乗って以来、八幡大菩薩は源氏一族の守護神として崇められるようになったという。

つまり、鎌倉、そして鶴岡八幡宮というのは源氏とゆかりのある地であり、頼朝はその由緒を重んじてここに幕府をおいたのである。(と、本に書いてあった)

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三の鳥居。

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この鳥居をくぐると神社の敷地となる。
その鳥居の向こうには、太鼓橋、その向こうに静御前が舞ったとされる舞殿、その上方向には本宮の楼門が見え、その周りを山の木々が包み込むように生い茂っている。

その証拠に、鎌倉幕府を開くにあたって、頼朝はまずこの鶴岡八幡宮の造営から始めているのである。

■鶴岡八幡宮
 住所 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
 電話 0467-22-0315
 期間 通年
 営業時間 境内自由(本殿は6:00~20:30)
 料金 無料(宝物殿は有料)
 駐車場 40台他各種駐車場(有料)
 お勧め ★★★★★

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階段の中段あたりには、鎌倉三代将軍、源実朝を暗殺するために公卿が隠れていたという樹齢1000年の大銀杏が建つ。

本殿を参拝し、ここで、恒例の(?)運だめし。おみくじを引く。
ここのおみくじは、木でできた筒状の箱を上下に数回振ると、その箱の端に開いた小さな穴から番号が刻まれた木の棒が一本出てくる、という珍しくもおみくじらしいおみくじである。

出てきた番号を巫女さんに伝えると、その番号に応じたおみくじの紙を渡される。結果は。。。

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出ちゃったよ。あぁ出ちゃったよ。
まぁこれだけ引いてたらそろそろ出てもおかしくないけどね~。。
書いてある内容をよく読み心に留め、おみくじは結んできた。

数年前に初詣に行ったときに、友人と一緒に凶を引いたとき以来だ。
まぁやっぱ珍しいからね。そういう意味ではラッキーということで。。

その後は、ぼたん苑がちょうど満開で見頃だということなので寄って行った。(有料です)

ダイジェストで。

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鎌倉は他には特に行きたいところはなかったので、進路を西へとり、いざ小田原へ。

■小田原城
 住所 神奈川県小田原市城内6-1
 電話 0465-23-1373
 営業時間 各施設は9:00~17:00
 料金 天守閣内は400円、歴史見聞館は300円
 駐車場 あり(有料)
 お勧め ★★★★★

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難攻不落の名城として名高い小田原城。
このお城は大好きで、住んでる場所から割と近いということもあり、訪れるのは今回で7~8回目と思われる。

小田原城と言えば、北条氏の居城であり、氏政の時代に上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐えぬいたということ、そして、豊臣秀吉がこの城を落としたことで天下統一を成し遂げたことでも有名だ。

だが、実は私は今回初めて知ったのだけど、この小田原の北条氏と、鎌倉時代に源氏三代の後に、執権としてその政治の実権を握った北条氏は、血筋的に全く関係がない。多分。

そういう意味で、北条早雲に始まる小田原の北条氏のことを、小田原北条氏とか、後北条氏とか言って区別するようだ。

基本的に私の歴史の知識は細切れで、時代と時代のつながりや流れといったものが欠落している場合が多い。
特に、鎌倉後期から室町あたりに関しては興味があまりないということも相まってイマイチよくわかってない。
足利尊氏は知っていてもどっからどういう経緯で出てきた人なのかよく知らない。とか。。

思うに、中学で歴史を学ぶ時に、必ず時代と時代の区切れのところで文化史というのを勉強すると思うんだけど、あれが歴史の流れを理解する上での弊害になっている気がしてならない。
っていうのは、歴史が苦手だった人間ならではの台詞でしょうか。。

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小田原城に関して、私が興味を持っている話だけを抜粋して記載。

【小田原城と戦国時代】

小田原城と言えば、先ほども言った北条(後北条)5代だが、その初代である北条早雲、彼はもともと、伊勢新九郎と言い、室町幕府の政所執事である伊勢氏が出自と伝えられている。

本人が北条早雲を名乗ったことは一度もなく、その名で呼ばれるようになるのは、子の氏綱が鎌倉幕府執権の北条氏の名を継いでからである。

早雲は、自分の妹が駿河の名門である今川家に嫁いだことをきっかけに、その跡継ぎ争いを利用して一城の主となってしまう。

そして、鹿狩りの勢子に紛争した兵を小田原城近くに集結させて、夜のうちに奇襲をかけて城を乗っ取ってしまうという逸話が有名であるが、その後も相模へと領国を広げていき、北条早雲によって戦国時代(下克上)が幕を開けたとも言われている。

その後の北条氏綱→氏康→氏政→氏直までが北条5代と呼ばれている。

また、先程、小田原城は北条氏政の時に、上杉謙信、武田信玄などからの攻撃でも落ちることはなかったと書いたが、甲斐の国、山梨出身の私に言わせれば(本当はNHK大河ドラマ「武田信玄」原作者の新田次郎に言わせれば)、小田原攻めをしたときの信玄には、そもそも小田原城を落とすつもりがなかったのである。

その頃関東には、反北条派の武将たちが少なからず存在していたので、信玄は、城を取る戦ではなく、かれら反北条派の武将たちの心を取る戦をしたのであり、さらには、北条軍を関東におびき出して、その後に反転して駿河を奪おうと考えていたのである。

結果的にも、武田軍が小田原から甲斐に退却していくその帰路において、北条軍と大きな戦いをするが、その際に寄せ集めでしかない北条軍からは次々と反北条派の兵が戦線を離脱し、武田軍が圧倒的な勝利をおさめた。
これが三増峠の合戦と呼ばれる戦いである。

そして、さらにその後すぐに、信玄は容易に駿府城の開城にも成功しているのである。

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余談になるかもしれないが、現在の小田原城の天守は、実はこの後北条氏時代、つまりは戦国時代の天守ではなく、江戸時代の頃の天守の復元である(今回初めて知った)。

敷地内にある歴史見聞館でも、やはり当然のように戦国時代の名城小田原城に関する説明に費やしているにもかかわらず、復元されているのは別の時代の天守って。。なんかおかしいよね。ショック。。

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いつも車で小田原城まで行っていて、小田原駅前にある北条早雲の銅像を見たことがなかったので、そこだけ寄っていく。

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私がこれまで見た中では伊達政宗の銅像の次にかっこいい。
やっぱ馬に乗ってる銅像はイイね!

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その後、さらに海沿いを西へ進む。

■毘沙門天芝の湯
 住所 静岡県伊東市芝町2-3
 電話 0557-36-3377
 営業時間 14:00~22:00
 料金 200円
 駐車場 26台
 露天 なし
 無料休憩所 なし
 ぬるめの浴槽 なし
 特記 加水 循環式
 お勧め ★★★☆☆

静岡県。12県目(1道1都10県)。
伊豆半島は温泉がたくさんある。
ここも有名。伊東温泉。

露天はないし、あまり広くはないけど、200円ナイス!
お湯はかなり熱め。
駐車場が少ないのでちょい待ちが発生してました。

夜は伊東の道の駅にて一泊。

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本日の走行距離:130km 累計走行距離:8,860km

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