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2007年2月 7日 (水)

愛しき日々

今日は進路を西へとり、兼ねてより訪れたいと思っていた地、会津若松へと向かう。

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途中、猪苗代湖(いなわしろこ)という湖を通るのでちょっと寄り道。

■猪苗代湖

 住所 福島県耶麻郡猪苗代町
 電話 0242-62-2117(猪苗代町商工観光課)
 期間 通年
 営業時間 見学自由
 駐車場 あり
 お勧め ★★☆☆☆

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湖畔にはカモと白鳥が飛来していた。
宮城に入ったあたりから天気に恵まれ昨日まで割と暖かかったので油断していたが、今日は曇り空で、風がかなり強かったため、湖は大きな波が立っていて、とても寒かった。

ここには長居せずにさらに西へ向かい、まずは会津若松の中でも東寄りにある飯盛山の麓に寄っていく。

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■飯盛山・白虎隊記念館
 住所 福島県会津若松市一箕町八幡字弁天下33
 電話 0242-24-9170 
 営業時間 8時~17時(12月~3月は8時30分~16時30分)
 休館日 年中無休
 料金 400円
 駐車場 無料
 お勧め ★★★★☆

会津若松と言えば、会津戦争(戊辰戦争)。
そして、会津戦争と言えば、白虎隊。である。

ここで簡単に白虎隊について触れておく。

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【鶴ヶ城(会津若松城)と白虎隊】

多くの悲劇が生まれてしまった戊辰戦争だが、会津藩、そして白虎隊の最期ほどつらく悲しい悲劇として、後世に語られた歴史はなかなかないだろう。

戊辰戦争については、その最後の舞台となった箱館戦争に関して、過去の記事(江差の開陽丸を訪れた1月30日)で触れたことがあるが、ここ会津で繰りひろげられた旧幕府軍(会津藩)と新政府軍との戦い(会津戦争)は、箱館戦争よりも数ヶ月前に起こった戦いである。

会津藩は、戊辰戦争の始まりである京都、鳥羽伏見の戦いから旧幕府の中心勢力として戦ってきたため、朝敵(朝廷、つまりは天皇の敵)とみなされ新政府軍から徹底的に攻撃される。

そもそも、ここまで会津藩が薩長の仇敵として睨まれたのは、幕末に会津藩主松平容保が京都守護職に任命され、その配下にいた新撰組や京都見廻り組によって、薩長の尊攘派や討幕派の志士が京でたくさん殺されてきたので、彼らの恨みをより強く買ってしまった、という経緯があるわけだ。

新政府から会津藩討伐を命じられた仙台藩や米沢藩も、そんなただの私怨で会津藩をつぶそうとする新政府はけしからん、ということで逆に会津と手を組んで奥羽列藩同盟(後に北越諸藩も加わり、奥羽越列藩同盟となる)を結び、会津ともども新政府に対して徹底抗戦する道を選ぶことになる。

そんなわけで、新政府軍の会津への進軍に対し、各地で抗戦して防いでいたのだが。
慶応4(1868)年、8月21日。
鶴ヶ城東側の山を越えて突如現れた新政府軍に会津領への進入を許してしまう。
新政府軍が仙台に進軍していくと思っていた会津藩は、鶴ヶ城下の守りを手薄にしてしまっていたのだ。
その結果、他の各方面の防備のために戦力を割いていたため、城下に残った数少ない兵だけで新政府の大軍と戦う状態に追い込まれる。

ここで登場するのが白虎隊である。
そもそも15~17歳からなる白虎隊は予備兵力として編成された部隊だったのだが、それを投入しなければ守りきれないほど城下の兵力が不足していたわけである。
(※本当は白虎隊は16~17歳なのだが、15歳なのに16歳と年齢を偽って入隊した者もいた)

出撃を命じられた白虎隊は、今こそ自分たちが主君のために忠義を果たすときぞと意気揚々と鶴ヶ城下を出て行くわけだが、それからおよそ36時間後に、生き残った20名の隊士全員が自刃するという悲しい最期を遂げることとなってしまう。

鶴ヶ城を出た白虎隊は、途中小隊長とはぐれるも、前線である戸ノ口原で新政府軍に対して攻撃をしかける。
だが、新政府軍の近代兵器と圧倒的な物量の攻撃に手も足も出ず、全員退却を余儀なくされてしまう。

退却した白虎隊士は、このまま敵の捕虜になるくらいならば、ここで武士の節義を全うしようと一度は自刃を覚悟するが、その前に今一度鶴ヶ城や殿様(松平容保)の安否を確かめようと、鶴ヶ城を見渡すことができる飯盛山まで必死の行軍を開始する。

傷口の手当もままならないだけでなく、疲労と飢えに襲われた文字通りの必死の行軍であったため、ここで幾人かの隊士が着いていけず、はぐれてしまったと考えられている。
そして、その一人が酒井峰治という、白虎隊の数少ない生存者である。

酒井峰治は、はぐれてしまったところで、もはやこれまでと自刃を試みるが、通りがかった農民にそれを止められる。
その後、鶴ヶ城の籠城に加わって生き残り、昭和8年まで生きて白虎隊に関する手記を残すこととなる。
近年その手記が見つかり、白虎隊出陣から自刃までの36時間の詳しい足取りが明らかにされた。

その酒井峰治を主人公に描いた話が、今年の正月にスペシャルドラマとして放送されている。(けど私は見ていない)

話がそれたが、その頃、いよいよ城下に攻め寄せてくる新政府軍に対して、松平容保は籠城による徹底抗戦を決める。

このときに、城に残っていた数少ない老兵は槍や刀を手に、新政府軍の近代兵器に向かって突進していき会津武士の魂を見せるも討ち死に。
城下にいた女子供も敵の捕虜になるくらいならと、自決している姿が各所で見られたという。

そして、敵がまさに鶴ヶ城にまで押し寄せて来るというときに、松平公は少しでも敵を城に近づけさせないように、自ら城下に火を放たせる。

一方、その頃必死の行軍を続ける白虎隊は、用水路として使われていた狭い洞窟を抜けて、鶴ヶ城を見渡すことができる飯盛山の中腹に立とうとしていた。

そして、そこから鶴ヶ城下を見渡した白虎隊20名は、その光景を目にして、全員言葉もなくし呆然と立ち尽くしてしまう。
城が燃えているのだ。
自分たちが守ろうとしている城が燃えている。
自分たちが守ろうとしている殿様の城が落ちたのだ。

このとき、本当は鶴ヶ城は落ちてはいなかったのだが、燃え盛る城下の炎を見た隊士達は、自分たちのつとめはもはやこれまで、あとは潔く武士の最期を遂げよう、として全員がお互いを刺し合うなどして自刃してしまう。

結果、奇跡的に息を吹き返した隊士、飯沼貞吉によって自刃の全容が明らかになり、彼はその後、昭和6年まで生きることとなる。

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昭和6年。
私が生まれたのも昭和だ。
私達が想像もできない程の大昔の話ではない。
たった百数十年前にこれほどの悲劇があり、隊士の一人が昭和まで生きているのだ。

今までは、歴史と言っても、それが本当の出来事であることはもちろんわかってはいても、どこか現実感の伴わない物語のような感覚で捉えていた。
そんな物語としての歴史が、こうして自分がその歴史の一つの舞台に実際に立ち、そう遠くない過去の出来事であることを改めて知ったことで、現実の出来事として身近に感じられ、なんだか悲しくやりきれない思いに包まれた。

命を懸けて戦うだとか、潔く自刃して最期を全うするだとか、今の世ではもちろん想像すらできない考えだが、白虎隊士のただただひたむきな主君への忠義心を思うと、それはまっすぐで美しいとやはり思わずにはいられないし、ひいては、人が人として生きるために忘れてはならない人間の尊厳のようなものもその根源に見え隠れしている気さえしてくる。

とまで言ったら、言い過ぎかなーとは自分でも思うんだけど、白虎隊の話には、美化して伝えていくだけの(正直、多少美化されて伝えられている部分ももちろんあるとは思う)様々な意味や価値がそこにあるからこそ、そうやって語り継がれていくのだろうとも思った。

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話は現実の日記に戻るが、白虎隊記念館には、衣服や武器など白虎隊関連の遺品だけでなく新撰組や会津藩に関する資料などが展示されている。
(※新撰組の残党も会津藩とともに新政府軍と戦っている)

白虎隊記念館のある場所から、しばらく山を歩いて登っていく。

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戸ノ口堰洞窟。
猪苗代湖の水を灌漑用として会津地方に引いてくるために作られた水路である。

後に自刃することになる白虎隊士20名が、前線の戸ノ口原から、鶴ヶ城へと退却していくときに通った水路である。

どう見ても、屈んで歩かないと入れない程の小さい洞窟で、当然中は真っ暗だし、水路に使っていたくらいだから水位もそこそこあっただろうから、この中を4kgもあったという旧式の銃(ゲベール銃という)を担いで行軍するのはかなりの労力を要したと思われる。

それほどの洞窟を抜け出れたときの安堵感は多分大きかっただろうから、そのすぐ直後に炎上してる(ように見える)鶴ヶ城を見たときの落胆は、さらにより大きなものだっただろう。

ここから少し登ると、白虎隊士を祭った御堂があるので、ひとまずそこで線香をあげていく。

さらに登っていくと、眼前に視界が開けて会津若松市が見渡せるようになる。

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餓えと寒さと傷の痛みに耐えて、必死の行軍で退却してきた白虎隊が目にした鶴ヶ城が。ここから見える。はず。。。どこだ。。。

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どこだ。。。
あ。。。

           20070207_781_iimori_zoom_filtered_s

あった。。。

写真だとズームしないとわかりづらいけど、実際は周りが木々で生い茂っているし、鶴ヶ城の天守自体も大きいから結構目立ちます。

その周りの城下が燃えて黒煙が上がっていたりしたら、城が燃えているように見間違えるかもしれない。確かにそんな距離だ。

そこから少し登ったところに隊士19名のお墓が並んで建てられていた。

そして、生き残った隊士、飯沼貞吉のお墓も少し離れたところにあった。
当時、一人だけ生き残った飯沼貞吉に対しては「武士の最期を遂げずに生き恥をさらした」という声も少なからずあり、他の隊士の隣ではなくその場所にお墓が建てられたそうである。ひどい話だ。。

さらに、そのすぐ近くの、実際に自刃したとされる場所にも慰霊碑が建てられていた。

また、自刃した19隊士のお墓のすぐ傍には、会津藩主松平容保公が、後に隊士を悼んで詠んだ詩の碑が建てられている。

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         幾人(いくたり)の 涙は石にそそぐとも
         その名はよよに 朽ちじとぞ思ふ

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次は、会津若松市中心部を通り、鶴ヶ城へ。

■鶴ヶ城(会津若松城)

 住所 福島県会津若松市追手町1-1
 電話 0242-27-4005(会津若松市観光公社)
 期間 通年
 営業時間 8:30~17:00(無休)
 料金 400円
 駐車場 280台
 お勧め ★★★★☆
 特記 日本百名城

 
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でかい。そして、きれいだ。
雪の弘前城も風情があって良かったけど、それに比べると規模がまるで違う。
天守自体もだが、本丸の広場も堀の大きさも、石垣の高さも。

写真やテレビなどでは見たことはあったけど、実際に見ると想像していた以上に大きかった。
大阪城を模して造ったと言われているらしい。大阪城見たことないけど。。

いろんな角度からいろんな距離で眺めたり写真を撮ったりする。

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天気さえもう少しよかったらねぇ。。って感じ。

その後、中を見学。
城の中は残念ながら当時の造りを再現しているのではなく、とても近代的な内装になっていて、会津藩、鶴ヶ城、戊辰戦争、白虎隊、に関する博物館のようになっていた。
でも、有名な白虎隊士自刃の絵なども展示されていたし、それぞれの歴史もわかりやすく説明されていたので簡単な勉強にはなったけどね。

外に出ると、もう日はかなり傾いていたけど、再度写真を撮りまくる。

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まだ撮る。

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距離や角度や構図だけでなく、時間とともにいろいろと顔を変えていくのでおもしろい。

天気や季節によってもさらにいろいろと表情を変えるのだろう。

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これは「鉄(くろがね)門」という本丸に通じる門。
その名の通り、鉄の板で覆われているのでその名がついたとのこと。
一ヶ月の籠城を耐え抜いた強固な門だ。

鶴ヶ城。。。
明日晴れたらもう一度来てみてもいいかもしれない。と思った。

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会津若松市を十数km北に行くと、喜多方市だ。
喜多方市と言えば、もちろん喜多方ラーメン。
そんなわけで、夜は喜多方ラーメンを食べに行く。

最近は、北海道にいた頃の贅沢三昧を反省して、食に関してはかなり節約をして、このブログで食べ物を紹介したとき以外はすべてカップ麺かパンなどで生活してきたのだが、やはり喜多方ラーメンははずせないだろう。(ラーメンて基本安いしね。。)

■源来軒
 住所 福島県喜多方市一本木上7745
 電話 0241-22-0091
 営業時間 10:00~20:00
 料金 ラーメン550円 大盛りラーメン800円
 駐車場 20台
 お勧め ★★★☆☆

喜多方ラーメンの始まりと言われているお店に行ってみる。
ラーメン屋、というより中華料理屋、って感じ。
ラーメン以外も普通の中華料理がメニューに並んでる。

食べたのは、もちろん普通のラーメン。の大盛り。
喜多方ラーメンのスープはしょうゆ。

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感想は。
おいしい。けど。好みではない。かな。

スープはとても味に深みがある感じでおいしいとは思うし、麺は自家製手打ち麺なんだけど、そもそも喜多方の特徴である太めの平べったい多加水麺が苦手なのかも。。

あまり粉っぽいのも好きではないけど、ここまでもちもちっとしたのもあまり好きではないかな。まだいろいろ食べたことあるわけじゃないから自分の好みもはっきりしないけど。

時間があれば明日また違うところに行ってみようかな。

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お風呂は

■熱塩加納保健福祉センター「夢の森」

 住所 福島県喜多方市熱塩加納村米岡下平609
 電話 0241-36-3112
 営業時間 9:00~21:00
 定休日 月曜
 料金 300円
 駐車場 70台
 露天 あり
 無料休憩所 あり
 ぬるめの浴槽 あり(露天)
 特記 加水あり
 お勧め ★★★☆☆

喜多方の少し山の中に入ったところにある。

公共の銭湯風の温泉という感じ。
露天もあるし、ぬるめだし。
それに300円は安い!ね。

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本日の走行距離:126km 累計走行距離:7,577km

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コメント

順調に日本一周進んでるようだねー。
最近、幕末にハマってるので、会津若松はぜひ行ってみたいところの一つです。
年始の白虎隊のドラマも見たしね。
写真の鶴ヶ城綺麗ですねー。
京都に行った際は、幕末縁の地の写真を期待してますw

投稿: ブラックコーヒー | 2007年2月 8日 (木) 12:58

幕末いいよねー。
俺の幕末好きは、るろうに剣心とお~い竜馬と、あとまちがいなくある友人の影響だろうね(^^;

幕末。
悲劇が多いけど熱い時代だよね。
討幕派にしても佐幕派にしても。
どちらも悪ではなく、どちらにも正義があって。
それを貫く生き様がかっこいいんだよね~。

新春の白虎隊は見れなかったから
DVD出たら見たいよー(>_<)
てか、この旅終わったら、きっと歴史関連のドラマや映画は、端から見たくなるだろうな。。

西日本は史跡が多くなるね間違いなく(^^;

投稿: 加ト | 2007年2月 8日 (木) 23:00

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